シッダルタは菩提樹の下の瞑想で、どのようなビジョンを得て悟りの境地に達したのか。その体験内容はどのようなものであったのか。実際のシッダルタの宗教体験は到底文字や言葉で表現しきれるはずのないものであり、私たちのうかがい知るところではありません。しかしながら、悟りの境地に達したシッダルタに、それまでとは全く異なる新しい人生態度が立ち現れたことを、私たちは知ることができます。

シッダルタは、王宮での快楽的な生活(物質を至上視した肉体的な享楽生活)が人生の正しい生き方ではないと考えられ、出家をすることで快楽主義を捨てられました。そして、出家後に試みた苦行林での禁欲的な生活(物質を軽視し肉体をさいなめる苦行生活)もまた、真の悟りへの道ではないと考えられ、禁欲主義も捨てられました。そして、快楽主義と禁欲主義のどちらをも否定し、そのいずれにも片寄らない自分なりのやり方を見い出したところに、ついにシッダルタの悟りはひらかれたのです。

シッダルタの悟りの道程に見るように、極端に片寄ることを否定し、観念的なものに執われることなく、自分自身の主体性を重視し実践的に生きる姿勢を、仏教では「中道」といいます。

仏教でいう中道とは、右と左の間をとってちょうど真ん中というような、平面的な理解によるものではありません。二つの対立する見方・立場・考え・価値などの両極を排して、真実そのものに接近しようとする、実践的かつ主体的な姿勢を、中道というのです。

そしてこれこそが、ブッダが生涯を通して貫かれた人生態度であり、真実の目覚めへの導きであり、仏教の説こうとする人間の生きるべき道なのです。




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