第一章の三 目覚め・中道を生きる

王族としての何一つ不自由のない暮らしや家族との愛の絆を断ち切り、社会的地位や名誉や財産をふり捨て、住み慣れた故郷カピラヴァスツの城を離れひとり出家したシッダルタは、永遠の真理を求めて各地を遍歴した後、当時の文化の中心地であったマガタ国の首都ラージャグリハ附近に住む2人の名高い修定者を訪ねました。修定者の指導のもとに修業に取り組んだシッダルタは、やがて彼らの教える奥義を修得するに至りましたが、そこでの境地は自らが求めていたものにはほど遠いものであったため、やがてその地を離れることとなります。

次にシッダルタはナイランジャナー河のほとりにあった「苦行林」という修行場に身を投じ、当時行われていた様々な苦行の実践を試みてみました。そこでの苦行は、死体が遺棄された火葬場や暗闇の森の中でただ一人恐怖に耐えながら瞑想したり、ひたすらに呼吸を止めたり、長期間の断食をしたりといった、生死をかけた激しいものだったといいます。極限までに自らの肉体をさいなむこれらの行を六年間にわたって続けた結果、シッダルタの身体は骨と皮だけにやせ衰えてしまいました。そこでシッダルタは、身体を痛めつけることはただ徒らに自分を苦しませるだけであり、自分の求める永遠の真理・真の幸福に導くものではないと判断し、一切の苦行を放棄することを決断します。

苦行林を去ったシッダルタは、ナイランジャナー河の水で長い間の体の汚れを洗いおとし、近くに住むスジャータという村娘が差し出した乳粥を飲んでやつれた身体の回復をはかり、菩提樹の下で心静かにただ瞑想に専念する生活に入りました。

ひとたび出家をした者が苦行を棄てるということもさることながら、社会の階級制度の厳しかった当時のインドにあって、階層としては低い地位にあった村娘の施しをそのままに受け入れたということは、当時の社会や宗教界の常識では考えられないことだったようです。

しかしながらシッダルタは、自分の信念のもとに自身の深い瞑想に入り、ついに永遠の真理に目覚めて悟りをひらかれ、「ブッダ(目覚めたる人)」となられたということです。
ときにシッダルタ三十五歳、十二月八日の夜明けであったとも伝えられています。



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