心がうきうきとして楽しくて嬉しくて、何かに夢中になっているようなときに、人間とは何か? 人生とは何か? なんて考えることは、まずありません。
苦しみや悩みを自分の内に抱え込んで、どうしようもなく辛くて悲しくてやりきれなくなったときに、それを「縁」として、はじめて仏教に出遇うのだと思います。
親しい人との離別は、誰もがいつかは経験しなければいけない出来事です。
そんなときには悲しみの感情だけでなく様々な思いが押し寄せてくるもので、人と人との間にあって、どうしようもなく心を揺れ動かすものでしょう。
けれどもまたそれを「縁」として、仏教に出遇うということも、あるのだと思います。
私は寺の住職として、ご門徒方のご葬儀をお勤めさせていただきます。
大切なひとを亡くされた方々に、さまざまな思いが押し寄せるお通夜の席にあっては、どんな慰めの言葉も、気休めにさえならないように感じます。
けれども、だからこそ、必ず仏教の入門となる教えをお話しさせていただきます。
それはお釈迦さまが説かれた、最初の気付きの教えです。
それを「四苦八苦」の教えといいます。