浄土真宗のお寺の中央には木像の阿弥陀如来が安置してあります。ご門徒方のご自宅にある仏壇の中央にも、絵で描かれた阿弥陀如来が掛けられています。この像に向かって合掌し、お念仏を称えるのが、浄土真宗の礼拝の基本的なスタイルです。
礼拝の対象となる阿弥陀如来の像を「方便法身尊像(ほうべんほっしんそんぞう)」といいます。
「嘘も方便」などということわざもありますが、仏教で言われる本来の「方便」という語は「人々を真実の教えに導くために、仮にとられる便宜的な手段。手立て」という意味です。
方便に続く「法身尊像」は、「目に見えず言葉にも言い表すことのできないものが、尊い姿かたちをとって現れたもの」という意味です。
阿弥陀さまのお姿は「根源的生命エネルギー」の現れです。
それは、ひかりといのちそのものが、大いなる慈悲心をもって現わされた、姿かたちなのです。
こころそのものには形がなく、目にも見えないものですが、
その願いの力のあることを、私たちに伝えようとして現れてくださった、
阿弥陀如来のお姿です。
阿弥陀さまは、蓮の花の上に立っていらっしゃいます。蓮の花は、泥の中に咲いて泥に濁らず、泥沼のような人間の世界にこそ、より一層美しさを際立たせます。
蓮の花の上の阿弥陀さまは、座るでもなく寝るでもなく、こちらに向かうようにして、立っていらっしゃいます。つま先立って、こちらの方に今にも向かおうとされています。
阿弥陀さまは、本来は目にも見えず、言葉にも言い表せない、心そのものです。けれどもその心は私たちに向けて、確かにその力のあることを伝えようとされています。
手の形は、それを伝えるためのサインです。両手の親指と人差し指をちょっとつけて輪をつくり、右手は上にして、左手は下にして、こちらの方に向けていらっしゃいます。
右掌のサインは
恐れることはありません 大丈夫 必ず救いとられることを 信じなさい
という心です。
これを「来迎印」といいます。
下に向けられた左掌のサインは
どんな困難も乗り越えられます あなたはあなたのままで まかせなさい
という心です。
これを「摂取不捨印」といいます。
阿弥陀さまの背後からは、無限の光が放たれています。
すべてのものを分け隔てなく照らす、永遠の願いの光です。
円満なる願いの心は光となって、
それはまた声となって、私たちのところに届けられます。
その声が「南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)」と、私の耳に聞こえてきます。
私の心にその声が響いてきたとき、私の口から現れてくるのがお念仏です。
「なもあみだぶ」「なまんだぶ」「なんまんだぶ」の声です。
称え方に決まりはありません。
心で聞いたその声を、自分らしくそのままに、阿弥陀さまに向けてお返しします。
その声はきっと、阿弥陀さまの耳にまで届くはずです。
南 無 阿 弥 陀 仏
阿弥陀さまの声を聞き、その声をそのままに、自分の声にしてみます。
聞く耳を持たないというのではなく、よく耳を澄ましてみましょう。
その声を、いまここから生き直すことのチャンスに出来るかどうかは、自分次第です。