浄土真宗の門信徒には、ご本尊として仰ぐ阿弥陀仏を、親しみを込めて「親さま」と呼ぶ習慣があります。浄土真宗の先人方は、人と人とを区別することなく、差別することなく、依枯贔屓することなく、等しく見守る仏の心を「真実の親心」と表現されました。
私はこの「親」という観念を、「根源的生命エネルギー」と捉えています。
生きとし生けるすべてのものが生じるための基盤としてある、すべての生命の根源を、先人方は「親さま」と自然に表現されたのだと考えています。
すべてのものを分け隔てなく、一人一人をかけがえない自分の子供のように見守る。子供の喜びを自分の喜びのように感じ、その悲しみを自分の悲しみとして感じ取る。
24時間365日休むこと無く、損得なく裏表なく、掛け値なしの真心で、ただひたすらに願っていてくださる「真実の親心」です。
私たちが持つ自己中心的で限定的な願いではなく、無限の願い、解放された願い、満ち足りた願い、永遠の願い、真心そのものです。
そのエネルギーは光であり、それはまた生命でもあり、
人間の心を遥かに超えた、大いなる願いそのものでもあります。
それが「ほとけ」です。
我々は、自分という我をほどいて、仏とひとつに成れるのです。
あなたはあなたのままで、誰とも比べることなく
かけがえない自分自身の人生を、精一杯に生き抜いてください
自分に出来ることを 自分のやるべきことを
誰の真似事でもなく 一生懸命つとめてください
めげないで しょうげないで 胸を張って 元気でいてください
かけがえのないそれぞれを、
分け隔てなく、比べず、等しく、
ただひたすらに、一心に願う。
真心からの願いです。