その後ゴータマ・ブッダは伝道の旅へと各地を赴き、貧富や階級、年齢や性別の差を越えた多くの人々に教えを説き、限りない教化を及ぼしていきました。ブッダは、人々との一期一会の出会いを最も大切にし、それぞれの人々のそれぞれの立場で理解しやすいようにと配慮され、その教えを説かれたといいます。こうしたブッダの姿勢は、「対機説法」「応病与薬」などと呼ばれています。

対機説法とは、教えを聞く相手の個性や能力にあわせて自在に真理を説かれたということです。
応病与薬とは、教えを聞く相手の状況や問題にあわせて自在に救いを施されたということです。

つまりブッダは、その都度出会った人々がどういう人で、どういうことで悩んでいるのかを見抜いたうえで、その人それぞれに最も適切な言葉と方法をもって、救いの教えを説いていかれたのです。


ゴータマ・ブッダを慕って出家した人々のなかには、ブッダの導きや戒めに即して修業をし、ブッダと同等の目覚めを経験するに至ったという人もいたようです。これらの人々は「阿羅漢(最高の悟りを得た者)」と呼ばれました。これはすなわち彼らもまた「ブッダ(目覚めたる人)」となられたということを意味しています。つまりブッダの教え「仏教」とは、「仏による教え(ゴータマ・ブッダにより説かれた教え)」であると同時に、「仏に成る教え(自らがブッダとなるための教え)」でもあるということなのです。

自分自身もまたブッダとなるべく、最高の悟りを目指してゴータマ・ブッダのもとに集まってきた人々は、出家修行者の集まりとして「サンガ」と呼ばれる共同生活を始めました。国王たちや富裕な人々などがブッダに帰依して土地や財産を施し、有名な宗教的指導者たちまでもが帰依して、それぞれの信徒もまたそれにならうこととなったので、サンガは宗教教団としての大きな発展を遂げていきました。


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