仏さまのことを、本家本元であるインドの言語、サンスクリット語では「ブッダ(BUDDHA)」といいます。このブッダという言葉が中国で漢字で音写されて「仏陀」という表記になり、それが省略され「仏(ブツ)」となって、更には中国から日本へと伝播する過程で、「ほとけ」という読みに訓読されるようになったということです。
ではなぜ、日本では「ほとけ」と読まれたのかというと、それについては諸説あるようです。
一つには、仏教が公式に日本に伝えられた欽明天皇の頃に、「ほとりけ」という熱病が全国に流行したことを由来とする説。異国の「神」を祭ったことに対する、我が国の神の祟りによって流行病が発生したのではということで、「ほとりけ」の元となった異国の神を「ほとけ」というようになった、という説です。
この説を取るとするなら、仏教徒にとってはあまり好ましく感じられないことです。流行病の元凶となるのが「仏さま」だというのは、とてもではないですが、受け入れ難いものです。
他の説も見てみましょう。
中国では古い時代、ブッダのことを「フト」と音写し、それを「浮屠」と漢字に書き写す表記があり、道教を道家、儒教を儒家というように、仏教徒のことを「浮屠家(フトケ)」と呼ぶことがあった。そこから転じて、ブッダ自身も「ふとけ」と呼ばれるようになり、日本ではそれがなまって「ほとけ」となった、という説。
この説が本当であるなら、やっぱり仏教徒にとっては、好ましく感じられません。「屠(と)」という字は「家畜を殺してその肉を切る」という意味です。そんな血生臭そうな当て字をするというのは、外来の宗教である仏教に対する悪意さえ感じられます。これもまたやはり、受け入れ難いと言わざるを得ません。
仏教徒としての私にとっても支持出来る説は、
「解(ほど)ける」という言葉が転じて「ほどけ」となり、それが「ほとけ」となったという説。
これはつまり、絡んでもつれた状態から、解けて離れて、すっきりする、という感じでしょうか。
私が仏教に感じる魅力は、確かにそういうところのような気がします。様々な縛りからほどかれて楽になるイメージであれば、仏教に相応しい説として、私にも素直に受け入れられます。
ほどける。ほとける。ほとけとなる。
自由になる。フリーになる。楽になる。
世間の束縛や呪縛から解放されて、精神的な自由を得られるのが仏教です。
ほっとするのが、ほとけの教えということです。
photograph: Kenji Ishiguro