【 第四条 】
浄土真宗の寺院においては〈南無阿弥陀仏〉を称えることを根本の礼法とするべきです。そもそも浄土真宗の寺院が存在することの意義は〈南無阿弥陀仏〉を称え、それを伝えていくことにあるからです。
寺族が〈南無阿弥陀仏〉を称えなければ、ご縁の方々が〈南無阿弥陀仏〉を称えるということもありません。〈南無阿弥陀仏〉を称えようという気持ちがなければ、浄土真宗の教えを伝えることを目的とする、宗教法人としての存在意義がなくなってしまい、そのあり方に偽りが起きてしまいます。
寺族がいつも心から〈南無阿弥陀仏〉をいただいているなら、宗教法人としての寺院運営に問題が起こることはありません。それに関わるご縁の方々も、共に〈南無阿弥陀仏〉を称えて、信心を得ることができるならば、寺院運営は自然と安定し、自然と展開していくはずです。
【 十七条憲法・第四条 】
四曰、群卿百寮、以禮爲本。其治民之本、要在禮乎、上不禮、而下非齊。下無禮、以必有罪。是以、群臣禮有、位次不亂。百姓有禮、國家自治。
もともとの第四条には「礼をもって根本とせよ」とありますが、浄土真宗寺院の「礼法(=礼儀作法)」とはすなわち「南無阿弥陀仏の称名念仏」に他なりません。
そういうわけで、「礼」の部分を「南無阿弥陀仏の称名念仏」と読み替えてみました。浄土真宗のお寺の心得として自然なものに感じられるのですが、いかがでしょうか。