しかしながらシャーリプトラよ。私たちの世界で仮に善いこととされているような、わずかな善い行いをしたからといって、極楽に生まれられるわけではない。
シャーリプトラよ。素直に二心なく、ただその仏の名前「アミダ」の名前をよく聞いて、それを忘れないように、心に深くとどめておいてほしい。
一心にその思いを乱さないでいられるならば、人間としての寿命が尽きて死を迎えようとするそのときに、アミダ・ブッダが、そこに現れてくださるだろう。
いよいよ自分の命を終えようとする、そのときにあっても、死の恐怖に心が乱れて惑うことなく、ただちにアミダ・ブッダの極楽の国に生まれるだろう。
シャーリプトラよ。人間としての生存を受けながらも私は、思慮分別を越えた「涅槃」の境地のあることに目覚めた。だからこそ「極楽浄土の阿弥陀仏」を、私は説く。
無分別の「智慧」を得て、分け隔てなき「慈悲」の心のあることに気付くに至ったからこそ、このことを私は説くのだ。
シャーリプトラよ。涅槃の境地を、確かに悟る君であるなら、私の真意が伝わるだろう。仏の心とひとつになって、一心の願いとなるだろう。
また、聞くがいい、チューラパンタカよ。君にも、伝わっているはずだろう。君ならその心を、感じられるはずだ。
いつも、毎日、毎朝にでも、極楽の世界とその国に生まれた先人たちのことを、よくよく、心に念うがいい。アミダ・ブッダの名を称えて、一心にその国に生まれたいと願うがいい。
すぐにそのことを忘れてしまうようであれば、
今日のような、夕陽が西の方向に沈む日に、ちょうど太陽が真西に沈む日に念いを定めて、
一日でも、二日でも、三日でも、四日でも、五日でも、六日でも、七日でもいい。
その夕陽に向かって合掌して、その国のことを念じてほしい。
その国の仏の名前を、称えてほしい。
西の彼方にある、極楽の国に向かって、掌を合わせなさい。
春の日と秋の日に、一年に二度、そのときはおとずれる。
その日にあわせて、その日だけは決して忘れないようにして、その仏の名を称えてほしい。
そして、その世界に生まれたいと、一心に願ってほしい。