極楽は、はるかなる過去世からずっとそこにあって、そこに生まれ、そこに生きているものは、数限りない。
私たちが生きる世界であれば、広さには必ず限界があって、その定員にも限りがあるだろう。けれども極楽は、すべてのものにひらかれていて、それを拒むことはない。私たちの世界にあるような、数の単位によって分別されるようなものではない。
その仏の名前「アミダ」とは、「無量(はかりなき)」という意味をあらわす。
極楽に迎えられた先人たちは、数限りない。私たちの世界の呪縛から解き放たれて逝った人々は、すべて極楽に迎えられている。
そんな極楽の国が、私たちの人生のその先にも、ひらかれている。やがてはその国に生まれたいと、心から願うがいい。
なぜなら、この世界の呪縛から解き放たれた素晴らしい方々とともに、ひとつの世界でひとつの心となって、集うことができるからだ。
なつかしいひととも、またそこで、ひとつになって会えるだろう。