親愛なる、シャーリプトラよ。見識ある賢者の君は、どう思うだろうか。なぜ極楽の仏は「アミダ」と名乗られているのだろうか?

シャーリプトラよ。その仏の放つ光は果てしなくすべての世界を照らして、何ものにもさまたげられることがない。

私たちの認識している光は、何かにさまたげられることによって、視覚化された光だ。私たちは、光を妨げるものがあることによって、光を光と認識する。

しかしながら、極楽より届けられる光は、何ものにもさまたげられることのない「量り知れない光」であり、それは何ものにも断たれることのない、何ものとも比べようのない、永遠の光。無量の光。

その仏の名「アミダ」とは、「はかりなきひかり」の意味をあらわす名前にほかならない。

 

またシャーリプトラよ。この世界に生まれたものは、必ず死に至るということは、世の常である。しかしながら極楽の世界にあるその仏や、そこに生まれた人々は、生死そのものを超えている。

私たちは生まれたかぎりは死ななければいけない世界に存在しているが、その世界は、生からも死からも、自由なのだ。

生死にとらわれる必要がなく、永遠の命を生きることができる。無量の寿命を生きることができる。

その仏の名「アミダ」とは、「はかりなきいのち」の意味をあらわす名前にほかならない。

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