ゴータマ・シッダルタが説かれた四つの真理「四諦」の内の、第一の真理である「苦諦」には、人間として生きる限りは苦しみの現実を受け止めなければいけないことが明らかに示されました。
そして第二の「集諦」には、苦しみの原因が自己中心性による煩悩であることが明らかにされます。そのうえで第三の「滅諦」には、自らの煩悩を滅することによって成し遂げられる、苦悩が滅せられた境地のあることが、ブッダ自身の存在をもって示されます。
そして最後の第四の真理「道諦」には、煩悩を滅し苦悩を滅するために、ブッダが勧める人間としての生きる道、賢明な人間の生き方が説き明かされます。
それは、対立または矛盾しあう二つの概念の両方を離れて、両極端のどちらにも偏らない「中道」を歩むという、人間の主体的な生き方です。
ゴータマ・シッダルタの悟りは、快楽主義と禁欲主義のどちらにも見られる極端な偏見を排した、自然体をもって達せられたといわれます。真実とは、二つに分かれてあるようなものではなく、また両極端の一方に見出されるものでもないということです。
自分にとって好ましいことだけを求め望んだとしても、そうなることはありません。自分の気に入らないものを力づくで撲滅、殲滅しようと思っても、そのようにはなりません。
極端に楽を求めても、極端に楽を遠ざけようとしても、自分の思いのままにはなりません。極端に欲を求めても、極端に欲を排しようとしても、悟りの境地に接近することがないことが、ゴータマ・シッダルタの悟りまでの道程に示されています。
楽しみも苦しみも二つで対になっているものですから、どちらか一つだけになるということはありません。考え方によっては、苦しみの要因として楽しみがあるとも言えますし、楽しみの要因には苦しみがあるとも言えるでしょう。
苦悩を滅するために自分が滅するべきものは、相対するものや相矛盾するものではなく、自分自身の過剰な自意識なのでしょう。思いのままも根絶やしも、どちらも非現実的な考え方です。何ごとにも上手く付き合うことが肝要であるということなのでしょう。
人間の生存には、必要な欲求というものもあります。それらともどうにか上手く付き合っていかなければいけないのが、人生であるといいことでしょう。
四諦という言葉にある「諦」の一字は、諦(あきら)めると読まれるものですが、この語源が「明らかに見る」という意味であることは前にも記しました。
しかしながら、縁起に基づく諸法無我の原理に沿って考えるならば、諦めることと諦めないことは相補的な関係にあるものであって、諦めるべきことと諦めてはいけないことの両方を、私たちは明らかに見なければいけないのかもしれません。
諦めてばかりでは生きていけないということこそ、
明らかに見るべきなのでしょう。
この自分を生きていくことを、諦めてはいけない。
この社会で生きていくことを、諦めてはいけない。
私たちはそのことを明らかに見て、
自分の思うがままにはならないという現実を、
諦めるべきなのでしょう。
真実は矛盾と共にあり、矛盾は真実と共にあります。
真実は矛盾に対するものではなく、
真実は矛盾をも含んで一つであるということです。
酷く暑い夏に食べるかき氷だからこそ、厳しく寒い冬に食べる鍋だからこそ、それがおいしく感じられます。辛い仕事を終えた後だからこそ、暖かい風呂に入れば、極楽です。本当に苦しいときこそ、人のやさしさが身に染みることもあるでしょう。人生楽あれば苦もあって、苦ばかりではなく楽もあって、どちらも受け入れて生きていかなければいけないのが人生です。
過去のことに囚われて落ち込んだり、未来のことが不安になって立ちすくんだりすることはよくありますが、ペダルを踏みながらバランスを取らなければ、自転車は前に進みません。
ゴータマ・ブッダが「道諦」として明らかにされたのは、中道という姿勢によって得られる、自然体で前向きな生き方なのだと思います。中道とは、涅槃寂静という「一心の境地」に向かって生きる、確かに定められた意志なのだと思います。いまここに心を一つに定めて、そこへ向かって一歩踏み出す道が、明らかに示されているのだと思います。
私たちが実際に中道を勤めるときには、その在り方は人の数だけ多様に現れるはずです。それは言わば、自分道・自由道・自然道のようなものだと、私は受け取っています。
かけがえない自分を、
誰と比べることなく自分らしく生きていくために。
ご縁の方々と共に生きていくために。
自然に生きて、自然に死んでいくために。
極端な思い込みや決め付けをしないようにつとめることで、
自然に怒りや欲望が少なくなって、
自分とこの世界の苦しみが滅せられていくことを、
心を一つにして信じるしかありません。
涅槃寂静の境地のあることを信じて
ひかりといのちのあることを信じて
その方向へ向かっていくように
平和でありますように
photograph: Kenji Ishiguro