約2500年前に北インドの地に釈迦族の王子として生を受けられたゴータマ・シッダルタという人物が29歳で出家され、6年間の修行の末に菩提樹の下で深い瞑想の境地に入られて、遂に悟りを開かれたと伝えられています。
ゴータマ・シッダルタはあくまでも一人の人間だったわけですが、真実の気づきを得ることによって、通常の人間の状態を超越した、覚者としての存在になられたと言われています。
しかしながら、その人がいつまでも樹下に座り続けたまま何も語られることがなかったなら、誰もその人が悟られたことに気づくことはなかったはずです。
真実真理に目覚められたゴータマ・シッダルタは、その悟りを理解できる人はいないだろうと感じられて、自分一人の内にその気付きを留めておこうと思われたそうです。しかしながらやがて覚悟して樹下より立ち、一歩踏み出して鹿野苑という場所にいた5人の修行者たちに歩み寄り、自らの気づかれた真実、目覚めの理法、すなわち「仏法」を説かれたといわれます。
そこで説かれた教えの合理性に深く頷き、心からの信解を得るに至った5人の修行者は、その人を「ゴータマ・ブッダ(ゴータマという名の目覚めたる聖者)」と尊称されて、その人の悟りを認められたといいます。
この鹿野苑での最初の説法を、仏教では「初転法輪」と言い習わされています。
法輪とは、仏法を象徴する「輪」のことを表す言葉です。車輪は一度回り始めると慣性の法則に従って、それを止めようとする力がかからない限りはそのまま回転運動を続けます。こうした自然の法則性と同様に、仏法という真理の教えが、人から人へと自然に伝わり始めたということです。
人間の煩悩が法輪の回転に負荷をかけることはあったとしても、その運動性は人間の能力をはるかに超える働きなので、その回転が止まることはありません。
ゴータマ・ブッダが目覚められた真実がどのようなものだったかなんて、私たちには想像も出来ないのは当然のことです。ものごとのありのままに気づいて、万有の根源に目覚められたといわれても、何のことだか分かりようもないのが、普通人である私たちです。
しかしながらゴータマ・シッダルタは、その気づきを合理性のある論理的な言語をもって5人の修行者に伝えられ、そしてその言葉は道理に適ったものとして修行者たちに伝わり、そしてまたその気づきが、人から人へと伝えられていったことも事実です。
合理的で普遍性のある思想は、時代や地域や状況を越えて影響を及ぼすものであって、それは多くの人々に気づきのヒントを施すものであるはずなのです。
ゴータマ・ブッダは初転法輪の場において、後に「四諦」として要約して伝承される教えを説かれたといわれています。四諦にある「諦(たい)」の一字は、「諦(あきら)める」とも読まれる文字ですが、これは「明らかに見る」という意味をその語源とする言葉です。
真実真理、明らかに見極められたその道理を表すのが、「諦」の一字ということです。
四諦とは、①苦諦 ②集諦 ③滅諦 ④道諦 の4つの真理を明らかにするものです。
以下に順を追って考察してまいりましょう。
photograph: Kenji Ishiguro