四門出遊の物語に描かれる東西南北の四つの門は、人生における四つの苦相、すなわち、老いの苦しみ、病いの苦しみ、死の苦しみ、そして、生きることそのものの苦しみを示しているといわれています。
シッダルタは、東門での老人との出会いで(若さ・青春)ということを、南門での病人との出会いでは(健康・安全)ということを、そして西門での死人との出会いでは(生存・存在)ということを、それらを自らのこととして深く厳しく省みられました。 そして北門での出家者との出会いによって、生きることとは苦しみであるという人生の実相を直視したうえで、一時的なまやかしではない真実の幸福を求めるために、出家という生き方を選びとられたのです。


老人、病人、死人の姿を目にして、逃げるようにして城の中へと戻っていったシッダルタの姿は、そのまま現実にある私たちの姿を映し出しているようにも思われます。現実から目を背け、いつまでも若く健康で生きていたいと願い求める私たちの姿です。楽しく、明るく、面白いことばかりを追い求めて、嫌なことはできるだけ避けて通ろうとしたがる私たちの姿です。
私たちがシッダルタの立場ならば最初に門を出たところで、「こんなに外の世界が嫌なところなら、城から出ない方がましだ」と、城内の生活にこもってしまうに違いありません。

人生は苦しみであるといっても、もちろん人生には楽しいことや面白いことや明るいことだってあります。しかしそれらは必ず一時的なものであって、永続的なものではありません。
良いこともあれば、必ず嫌なことだってあるのが現実なのです。心地よいことを求めてもなかなか満足することはできず、嫌なことは避けて通れないのが、現実なのです。

いまは若さに満ち溢れていたとしても、刻一刻と年をとって、老いへと近付いています。
いまは元気で健康であったとしても、いつ病気になって体の自由が奪われるかはわかりません。
いまは幸せでいられたとしても、それは些細なことで一瞬にして失われてしまうかもしれません。
今日はこうして生きていられても、明日も生きていられるという保証は、どこにもありません。


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