まず生まれてすぐに七歩あゆまれたということは、苦悩に満ちた六つの世界「六道界」を、ブッダは生きながらにして超越した存在であったということを表しています。

六道界とは仏教の世界観のひとつであって、
1.地獄(苦しみの極まった世界)
2.餓鬼(飢餓に苦悩する者としての生存状態)
3.畜生(鳥獣虫魚としての生存状態)
4.修羅(対立し争う者としての生存状態)
5.人間(人間としての生存状態)
6.天上(すぐれた楽を受ける喜悦の世界) の六つの世界をいいます。

これら六つの世界は、私たちが命を終えた後に行くと考えられるような、いわゆる「あの世」の世界をいっているわけではありません。まさに私たちが現実として生きている「いまここの世界」を言い表していると考えるべきなのです。

1.地獄のような苦しみの状況が、この世には現実のこととしてあります。そこでの人々は、もう既に人間として生きることの喜びを見失っているようにも見えます。

2.飢えや渇きに苦しめられている人々が、この世には確かに存在しています。平穏で満ち足りた心の状態からは程遠く、激しく何かを渇望し、苦悩している人々が、この世には確かに存在しています。

3.人間としての理性や情緒を失い、欲望のままに行動する人や、無気力で無感動になっている人もいます。

4.何者かと争い対立することによってでしか自分の存在を確かめることができず、他人を蹴落としてでも自分のプライドを満たそうとする人もいます。

5.私たちの生きている世界や私たちの心は、常に不安定に揺れ動いているので、どれだけ今は人間らしい気持ちで生きていられたとしても、次の瞬間には、迷いに満ちた苦しみの情況へと転落しているかもしれません。

6.そしてもちろん、有頂天になって面白おかしく楽しめるような心地よい状況もまた、必ず長くは続かず、必ず失われてしまうものなのです。


六道界とは、まさにいま私たちが生きているこの世界や、私たちの心の状態のことをいっているのであり、人間は一瞬一瞬に変化し、生まれ変わりながら、この苦悩と迷いに満ちた六道界を輪廻し続けているのだと、仏教では考えられているのです。

単純に「世界はひとつ」と考えがちな私たちですが、ひとりひとりの人間にそれぞれの「いまここの世界」が存在していて、それらはそれぞれに一時として止まることなく変化を繰り返しているのだと、仏教では教えられているのです。

すなわち「七歩あゆむ」ということは、ブッダは六道界を超越した存在であったということを表しているのであり、人間の姿をもってこの世界に現れながらも、人間の持つ根源的な苦悩や迷いを、生きながらにして乗り越えることのできた存在であったということを意味しているのです。


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