2年前の自分が、植物を愛で、ネコの写真を喜々として撮っている2年後の自分の姿を、果たして想像することができただろうか?以前の自分は園芸の"え"の字も興味がなかったし、動物なんかむしろ嫌いな方だった。「ひょうたん日記」を見直してみると、精神的に不安定だった時期の自分のことがよくわかる。「ひょうたん日記」を毎日作っていくことは、自分にとってのリハビリみたいなものだった。(そして、まだまだ、リハビリは続く。) 今年の夏、河口湖に遊びにいったとき、自然の植物たちに囲まれ、東京で見る植物とはまったく違う、タフで、逞しく、力強い姿をきっちりと見せつけられて、ちょっと背筋を寒くしたことがあった。 「人間は、自然環境を保護しましょう、なんていってるけど、自分らはどうにでもしてやってけるもんね。それより、自分たちのことを心配した方がいいんじゃないの?」とでも言われたような気分だったのだ。 植物は、それに適した環境にあるならば、ほっといてでも育つのである。 自分たちの都合のいいように育てようと思うから、なかなか大変なのである。 かくして、1998年夏、うちの園芸は失敗に終わった。 だけどこれで諦めるつもりはない。 もちろん来年もひょうたん栽培にチャレンジするつもりだ。 自分の手で、立派なひょうたんを作ってみせよう、と思う。 -K 1998/09 あまり夏らしくはなかったが、今年の夏ももう終わり。夜も随分涼しくなった。 夏になるはずだった、ひょうたん、トマト、かぼちゃ。とうとうならなかった。 残念無念。今年の異常気象のせいか?などと思いながら、「ひょうたん日記」を初めから見返してみると、 どうやらそうではなかったらしい。私の栽培方法が悪かったのだ! まず、ひょうたん、カボチャは、一つの鉢に多くを植え過ぎ。 途中でちゃんと間引かなければいけなかった。 それにツルが伸び過ぎてもしばらく放っておいたり、何度も植え替えをしたりした。 トマトは本芽をつんでしまった。これでは実などなるわけがない。 なんだか申し訳ない気持ちになってしまった。 だいたいなんの知識もなしにただ種を植えて、 何とかなるだろうと思っていたのがそもそもの間違いだったのだ。 こうして客観的に自分の行動をみてみると、私の計画性のなさやら、怠け者なところやらが、 今回の失敗の最大の原因だったようだ。「庭を眺めて己を知った」。 ひょうたん栽培は失敗してしまったが、「ひょうたん日記」はやってよかった。 来年こそは立派なひょうたんを! -mi 1998/09
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