2006年10月7日「中年に気付く」


前総理の絶叫に始まった感ある日本の二十一世紀も、いつのまにやら6年目。あのエルビスの残像に何の結果も見い出せないまま、日本の政治は52才の新総裁へとそつなくバトンタッチされたようです。いつの時代であっても社会に問題は山積みだったはずですが、自分も子供を育てるような世代になって、この国はいったいどうなっていくんだろうか、と切実に思ってしまいます。新しい日本のリーダーに、以前ほどにはジェネレーションギャップを感じないこともその理由の一つでしょうか。良いも悪いも世代交代は続いていきます。

三十代の半ばも過ぎて、もう私も自他ともに認める「中年」になりました。
ただ闇雲に自分探しなんていっていられるほど夢見がちではいられないし、大人が悪い、社会が悪いなんていってみたところで、もう年齢的には立派な大人。投票権もあれば、社会の一員であることには、否定のしようがありません。それなりの役割や責任も負うようになり、さまざまな現実社会の問題にも関わらざるをえなくなってきました。

未来を不安に思ってみても、現在の状況を嘆いてみても、自分自身がどうにかしないと、誰かがなんとかしてくれるってことは、まず無いのだと思います。自分次第で未来は変わると思って、まずは身のまわりから、現実と前向きに関わっていくことしか、私という一個人ができることはないはずなのです。


青年期にはただ我武者らに突っ走ることしかできませんでしたが、ここまで年齢を重ねられたことで、なかなか気付けない自分にも少しは気付けてきたことがあるように思います。

無理せず、自分なりに精進し、他と比べず関わりあうことが、自然体で生きるということ。
不自然は長続きせず、我が身の思い計らいを超えて、自然は遥かに強力であるということ。

持続可能な社会を目指すことが現代に生きる私たちの責務であるならば、
仏教に学ぶことは多くあるように思います。

浄土真仏教「第一章の三 目覚め・中道を生きる」

お釈迦さまの悟りは三十五歳。中年にして気付かれたことに、ふと気付く。

感謝 尊敬 平和 南無阿弥陀仏




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2006/09/01