(慶集寺 / 以下、慶) おかげさまでご遷仏が無事完了して、まずはひと段落です。
自分にとってはもちろん初めて経験する仏事だったので、これまでも他の寺院のご遷仏に立ち会ってこられた木本さんのサポートは大変心強かったです。ありがとうございました。
(木本社長 / 以下、木) こちらこそ、ありがとうございました。一生にあるかないかのめぐり合わせのことなので、随分神経を使われたことだったろうと思います。
(慶) 慶集寺に生まれ育って、ずっとこの木仏本尊に向かって手を合わせてお参りしてきましたが、そのお姿に触れようとしたことは一度もなかったし、実際に触れたことはありませんでした。遷仏式の日の朝のお勤めのときに母に聞いてみたら、母もご本尊に触れたことは一度もないし、前住職であった父もなかったはずだと言っていました。
(木) なるほど。
(慶) 約140年前の明治6年に岩瀬の町で大火があったときに、慶集寺のそれまでの本堂も焼失してしまったらしいので、その当時の寺族がご本尊を運び出して逃げたそうです。焼失した跡地に古民家を移築改修して、現在の本堂が出来たところに再びご遷仏されたようなのですが、そのときが一番近いところで人の手が触れた、最後だったんじゃないかと思います。
(木) ご本尊を実際に手にお持ちしてどうでしたか?思ったよりも軽くなかったですか?
(慶) そうですね。その姿を仰ぎ見るようにしてお参りしているときには、濃く深みを帯びた金色に荘厳な重みを感じていたのですが、実際に木本さんから手渡されたときには、とても軽くて驚きました。表層は重みのある金にみえても本体の材質は木製だから、重量的には軽いんですね。けれどもお持ちしたときに手に付いた黒いすすに、代々の歴史の重みを、ずっしりと感じました(笑)
(木) 江戸時代には、現在の内陣の様式ではないような場所に安置されていたのかもしれませんね。宮殿(くうでん・木仏本尊を安置する荘厳)の中に納められた状態のご本尊は、お顔が隠れてしまうほどに大きかったので、もともとはそのままに全体のお姿を現されていたんじゃないかと思います。現代の木仏よりも胸部がふっくらとしているところが特徴的ですね。
いいお顔をしておられます。