2020年春、路面電車が南北でつながる。
富山のまち、百年の夢が叶う。
富山市がひとつになって、
新たな出会いが生まれるだろう。
人がつながり、まちがひろがる。
まちがつながり、未来がひろがる。
(「富山駅路面電車南部区接続イベント」ホームページより)
2020年の3月21日は、「富山市の人の流れが劇的に変わる100年に1度の日」という触れ込みで宣伝されてきた、富山駅の南側と北側とが路面電車でつながる、南北接続事業の完成の日でした。
富山市が進めてきたコンパクトシティ政策をはじめとするまちづくりは、ひとつの集大成を迎える、はずでした。
ここ数年は、トラムの開通や古い街並みの景観修復事業などの成果もあって、富山市最北部の場末の港町という雰囲気が長く続いていた東岩瀬町も、少しずつ往年の賑わいを取り戻しはじめていました。
5年前に北陸新幹線が開通したことで、東京と富山が2時間あまりでつながるようになっていたので、東京駅から東岩瀬駅へは乗り換え1回で片道約2時間半で行き来することができるようになって、観光客の来訪を推し進めたいという、期待や目論見もあったことだろうと思います。
事実、今年の春彼岸中日、3月21日の南北開通初日に関しては、これまでにはあまり見たことのないような人出が東岩瀬の町にもあって、これからは観光地のような町になっていくんだろうか、と思うほどだったのです。
けれどもその後、彼岸もあけて、新しい時代がやってきたのは確かなことでしたが、それは誰も想像することがなかったような、予測不能な展開のはじまりでした。
世界中の街角から人々の往来が消えて、富山県も、私が住む町の通りも、これまで以上にひっそりとした、不気味にも感じられるような静けさに、覆われたのでした。
今年の2月からの、大型客船内でのコロナ感染報道の頃は、ワイドショー番組を桟敷席から見ているような状況でした。
けれどもみるみるうちに新型コロナウイルスの感染者はつながり、ひろがり、日本の各地に伝染していった、だけではなく、世界各地でも同時に伝染拡大して、ついにはWHOによる「パンデミック(世界的大流行)」宣言が出されるまでにもなってしまいました。
当初は富山県での感染者が確認されていなかったので、大都市圏での感染状況の報道をまだまだ対岸の火事のように見ていたところもあったのですが、3月21日を境とした感染の展開はあっという間で、自分自身の生活圏内にも次第に影響を及ぼすようになりました。
4月になって東京や大阪などの7都道府県で発令された「緊急事態宣言」が、月半ばには全都道府県にまで拡大して、3人の子供たちはみんな休校で「ステイホーム」することになって、日常生活やお寺の仕事にも大きな変化が見られるようになりました。
5月の半ばには富山県の緊急事態は解除されましたが、外出の際のマスク着用は不可欠なものになって、「新しい生活様式」とか「ソーシャル・ディスタンス」とかいう以前にはなかった用語が、スタンダードになりました。
緊急事態宣言にともなう外出自粛期間中には、テレビの報道でも「いつになったらこれまでの日常は戻るのでしょうか?」なんていう表現もよく耳にしました。私自身、非日常的なストレスを感じて、「早くいつもの生活に戻って欲しい」という愚痴が、思わずこぼれることもありました。
けれども、仏教の教えに照らしてみれば、諸行無常。
すべてのものごとは変化していきます。時間は常に止まることなく進んでいくものであって、決して戻ることはありません。
一度経験してしまったトラウマはそう簡単に忘れ去られるようなものではありません。
かつてはあった、感染について何も考えることなく過ごしていた社会生活は、もう戻ることはないのだと、覚悟しなければいけないのだと思います。
時間は進み続けるものなのだから、時代の変化に適応して、自分も変わっていかなければいけないのだと思います。
新型コロナによる影響は、僧侶としての私の仕事にも、ご葬儀の現場にも現れました。
県をまたいでの外出が制限された緊急事態宣言の中では、ご法事やご葬儀の予定があっても、県外からの出席が叶わなくなってしまったので、延期やキャンセル、家庭内だけの少人数でのお参りにならざるを得なくなってしまいました。
人口流動の多い現代においては、家族や親族が一つの地域に留まって、日頃から生活を共にしたり、ひんぱんに行き来して付き合うような関係性は、もうすでに当たり前ではありません。
普段は方々に散らばって居住する家族や親族が、法事や葬儀を機会として一つの場所に集まってくるのが、現代的な仏事のあり方にもなっています。
お参りに来てもらうことがはばかられたり、お参りしたくても移動することができなかったり、そんな状況のなかでは必然的に、ご葬儀のサイズも小さくならざるをえませんでした。
いわゆる一般葬が行われることはなく、ほぼすべてが家族葬になりました。
これまでであれば、通夜葬儀の会場にはご近所の方々やご友人なども参列されるのが当たり前でしたが、いわゆる「3密」を避けることを目的として、会場受付に設置された焼香台でご遺影にむかって手を合わされ、ご遺族に挨拶をして帰られるという様式がとられるようになりました。
一般葬が年々減少して、家族葬が一般的になってきている傾向はこれまでにもありましたが、コロナ禍における家族葬は、本当に身近なご縁の方々に限定して執り行われる「核家族葬」ともいえる様式でした。
本当に身近な方々だけでお勤めするご葬儀が、決してよくないものは思いません。むしろ、亡くなられた方を偲びながらご縁の方々がゆっくりと時間を共に過ごすことができて、あたたかなアットホームさを感じられるようなところがあるように、私には感じられます。
多くの人で盛大にお見送りするというばかりではなく、簡素ではあってもけして粗末にすることのないご葬儀も、現代においては肯定的に捉え、積極的に考えていくべきなのではないでしょうか。
けれども同時に危惧されることも、コロナ禍中のご葬儀には感じられます。
身近な親類だけに限定された「核家族葬」ともいえるご葬儀によって明らかになったことは、それに参列する子供の数が、とても少なくなっているということです。
子供や若者がまったくいないというご葬儀もあります。
コロナ以前から、少子高齢化による葬儀式の小規模化は傾向としてありましたが、コロナの影響によって、急速にそれが進んでしまったような気がするのです。
かつての昭和や平成の頃にあったようなご葬儀やご法事の会場では、小さな子供たちがいとこ同士で一緒になって賑やかに遊んでいるような、久しぶりに会ったいとこたちが懐かしく語り合っているような、そんな光景がありました。
けれども超少子高齢化が進む現代社会においては、一人っ子は当たり前だし、一人っ子と一人っ子による結婚で、一人っ子が生まれるということも、少なくはありません。
一人っ子と一人っ子による結婚で生まれた一人っ子には、おじさんやおばさんやいとこなどの関係が無いということになります。いざというときに頼ることのできる家族や親類が、極端に少なくなってしまうということです。
三世代が一つ屋根の下に住んでいるような大家族は稀になって、核家族化といわれて久しい日本の状況では、すでに単身化・単身世帯化にまで、現実として進んでいます。
これまでのようなご葬儀に戻ることはなく、コロナ禍の「核家族葬」が、今後はさらに進んでいくのでしょうか。
煩わしく思われるようなことや、費用がかかるようなことは合理的に省略されていって、ご葬儀はより簡略化されていくのでしょうか。
時代が戻ることはなく、常に進んでいくものだということは、承知しています。
諸行無常、なのだと思います。
けれども、ただただ時代の流れの中で変化していくだけであれば、これまでにあった大切なものまで、失われてしまうような気がするのです。
一度失われてしまったものは、それをもう一度取り戻そうと思ってもなかなか難しいものだということは、これまで生きてきた経験から思うことです。
インターネットが普及して「テレワーク」とか「リモート会議」とかいった言葉が、日常的に使われるようになった時代です。
葬儀会場をストリームで公開する「リモート葬儀」というサービスまで出てきたそうです。
わけのわからないお経をただじっと聞いているだけのご葬儀に多額のお布施を支払うのでは、時間の無駄、費用対効果があわないといわれる向きもあるかもしれません。
新しい葬送の様式が、生まれてくるのでしょうか?
人口知能がますます発達して、急速にAI化が進んでいく社会のなかで、
あえて人間は立ち止まって、あえて僧侶は立ち止まって、
いまこそ「そもそも」と立ち戻って考える必要があるように思われます。
そもそも、お葬式って何なんだろう?
そもそも、お寺の役割って、何なんだろう?