前々回にも書かせていただいたように、私のお葬式は、まずはごく近親者だけで「火葬式(小さな家族葬)」をして、なるべく早めに骨瓶に収めてもらいたいと思っています。そしてそのあとに、広くご縁の方々にお集まりいただいて「遺骨葬(法人葬)」をしてもらいたいと思っています。
ではその後の遺骨は、どのようにしていただくことを希望するかというと、
本体の遺骨を収められた骨瓶は、慶集寺の境内地にあるお寺の墓へ納めていただき、代々の寺族の遺骨と共に、私の死後に慶集寺を護っていく人たちに管理してもらいたいと思います。
そして、頭蓋と胴体をつなげる要となる骨である「第二頸椎(通称。のどぼとけ)」は、前住職と同じように、分骨して浜黒崎の慶集寺共同寺墓へ納めていただきたいと思います。
慶集寺が管理する共同のお墓で、ご縁の方々のご遺骨と一緒にしていただいて、その場所を「南無阿弥陀仏の聖地」として、後の人たちにしっかり護っていただきたいと思います。
一周忌、三回忌に続けてお勤めされる、七回忌、十三回忌、十七回忌、二十三回忌、二十七回忌、そして三十三回忌は、慶集寺の護持管理を承継してくれる住職と寺族がいるかぎり、お勤めしてほしいと思います。
そういうプロセスを踏みながら、自然な流れの中で私のことを忘れていってくれればいいと思います。大袈裟なことをする必要はありませんが、ご法要という場所と時間を、大事にしてほしいと思っています。
親鸞聖人自身が「亡き父母の追善供養のために、念仏を称えるということは、一度たりともありません(歎異抄第5章)」と言われています。浄土真宗の教えを心から信じて「南無阿弥陀仏」と称えることは、亡くなられた方の極楽浄土への往生を、確かに信じて疑わないことなのです。
先に極楽浄土へ往生された方々は
阿弥陀仏とともに
迷いの世界に苦しみ生きる私たちを
見護り 育み
心から願ってくださっていると
私は心から信じています
人は死んだら 仏とひとつになって
すべてを願う心となる
願いの心 そのものとなる
その心のあることは
決して疑うことなく
素直に信じていいことだと思います