[ 恵信尼公との生活 不思議な夢のお告げ ]


愚禿釋親鸞を名乗られた後、越後そしてその後の関東での生活を共にされた
恵信尼公は、聖人との間に4男3女をもうけられ、
子育てをされながら、宗教者である伴侶を支えられました。

聖人没後の晩年に、末娘の覚信尼に宛てて送られたお手紙こそが、
冒頭にも記したように、明治時代の「 親鸞不在論 」の却下を確定させる
決定的な証拠となったわけですが、

その書状のなかには、
関東時代に見られた不思議な夢についての追想が、書き記されています。。。





どこかのお寺の落慶法要かと思われる場面でした。

お堂の前にはたいまつが、明るく灯されています。

たいまつの西側にあるお堂の前に、鳥居のようなものものがあり、
その横木に二体の仏の絵像がお掛けしてありました。


一体は、普通の仏さまのお顔ではなく、ただ光輝くばかりではっきりとした形は見えません。
そしてもう一体は、まさしく仏さまのお顔でした。

「 これらの二体は、何という仏さまなのでしょうか?」 と尋ねますと、

それに答えられた人が誰なのかはよくわかりませんでしたが、

「 あの光輝くばかりでいらっしゃいますのは、まさしく法然上人です。
 そして、それこそ、勢至菩薩です。」  と告げられました。

そしてまた、「 もう一体の仏さまは?」 と尋ねますと、

「 観音菩薩でいらっしゃいます。 あれこそ、まさに、親鸞聖人です。」 と告げられました。

そのときはっと目が覚めて、夢だったのだと気づきました。


このような夢は人には言わないものだと聞いていましたし、
私がそのようなことをいったところで、人は本当のこととは思わないでしょうから、
まったく人にはいわないで、法然上人のことだけを、聖人に申し上げました。

すると聖人は、「 夢にはいろいろありますが、これこそ正夢です。
法然上人は勢至菩薩の化身といわれ、それを夢に見ることも、よくあると言われています。
また、勢至菩薩はこの上ない智慧そのものですから、
それはそのまま光として、ただ輝いていらっしゃるのです。 」 と言われました。

観音菩薩が聖人であると聞こえたお告げのことは胸にしまって申し上げませんでしたが、
心の中で、聖人のことを普通の人とは思わないで、これまでずっと過ごしてきました。。。




このお手紙に記されているように、恵信尼公は、夫である親鸞聖人を、
観音菩薩の化身であると心に思いながら、生活をともにされていたのです。

恵信尼公のこのエピソードは、29歳の親鸞聖人が六角堂で見られたという、
聖徳太子の夢のお告げのエピソードに重なってみえます。

太子の化身である観音菩薩が、やがて因縁によって女性のすがたとなり、
聖人の伴侶として現れるであろうと告げられたというエピソードです。

つまりは聖人もまた、妻となった恵信尼公にたいして、目の前に現れたこの女性こそが、
観音菩薩の化身に違いないと思いながら、生活を共にされていたということになるからです。


仏の( 智慧 )の現れである( 勢至菩薩 )は、この上ない知性の象徴であり、
それは、浄土の真実の教えを伝えてくださった、法然上人に違いないとされています。
これは、輝く光として現れてきています。

そして、仏の( 慈悲 )の象徴とされる( 観音菩薩 )は、
言葉にならないほどに素晴らしい感性、( ひとつにとけあうこころ )の現れであり、
好ましくも美しく尊い姿となって、観音菩薩の姿となって現れていたのでした。


親鸞聖人と恵信尼公は、お互いのことを観音菩薩の化身であると、
心のなかで思い合って、心を通わせ合い、互いに尊敬し合いながら、
生活をともにされたのでしょう。


自分の悟りのためには無理をしてでも、女性との交わりを遠ざけるというのではなく、
また、表向きの格好だけ、清らかなふりをするのでもなく、

公然と妻帯をして、生きていくためには、感謝の心で肉食もありがたくいただくというのが、
親鸞聖人の仏教者としてのスタンスでした。


それは、浄土真宗の教えが、末法の世のどんな者でも仏と成ることができる、
大乗究極の、真実の在家仏教であることの、揺るぎない確信に基づくものでした。




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