④ 変わりゆく家とお墓 ( 諸行無常・諸法無我 )




明治時代の家制度に基づく「 一族の墓 」は、戦後の新民法に基づく「 家の墓 」として受け継がれながら一般にまで広く普及し、数十年の間で、その数を急激に増やしていきました。

けれども、時代の経過とともに家の形態も多様に変化していき、核家族化が進むとともに、一つの家でも複数の世帯に分かれて、様々な生活形態が個別に営まれるようにもなっていったことも現実的な状況です。三世代同居は稀にみられるものとなってしまいました。

現代においてはお墓の在り方も家の在り方とともに大きく変化していて、お墓は代々に渡って守り受け継がれるべき場所だというよりも、亡くなられた家族のご遺骨を納めるための場所だという感覚が、一般的にもなっているようです。

今はもう亡くなられた方に、また会いに行って話しかけるための場所だと考える人も、
少なくないようです。


日常に引きずってきた色々なものを、パッと切り離して気持ちを浄化させるような機能や効果が、「 聖地 」と呼ばれる場所にはあるそうです。

そういう意味でいうならば、家のお墓は「 家の聖地 」なのかもしれません。
今風にいえば「 家族のパワースポット 」ともいえるでしょうか。

けれどもそれを、聖地という「 土地・場所 」としてこだわってしまうのであれば、それは1センチとして動かされることが許されないような、不変不動であるべきものとして、固執の対象にもなってしまいそうです。

聖地と呼ばれる場所にまつわる争いごとは、
世界中で絶えることが無いのもまた、一面の事実です。

亡くなられた方のご遺骨をその方自身であると思ったり、その方の霊魂が宿るものだと考えたりしてしまうと、いつまでもそのもの自体に執着してしまうことにもなりがちです。

時間の経過とともに、自然と心も移り変わっていくということは、
人生には往々にして、大切なことなのです。







ある一つの家族を構成する人々は、時を経て、変わっていくものです。

その家を離れる人もいれば、新しく家族になる人もいるだろうし、
亡くなっていく命もあれば、生まれてくる命だってあるでしょう。

家族は固定的なものではありません。常に形を変えながらあるものです。


仏教では、すべてのものは移りゆくものであるとして、
諸行無常( しょぎょうむじょう )の教えを説きます。

そしてまた、すべてのものは関わりあいの中にあるものとして、
諸法無我( しょほうむが )の教えも、同時に説きます。

人と人との関わり合いのなかで、一人一人が変わっていき、
一人一人の関わり合いによって、一つの家も変わっていきます。


家族の中での関係性が変わることで「 家 」というものが変化していくと同時に、
家族の在り方が変わることで「 墓 」の在り方も変わっていくことは、
当然の事であって、仕方のないことです。

絶対に変わることのない「 家族 」も「 お墓 」もありません。

大切なことは、今を生きる自分自身が、家族やお墓と如何に関わり、
如何に自分の人生を前向きに生きて、よりよく変わっていけるかということなのです。



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