【 滅 諦 と 道 諦 】


思い思いの思いがあって、私の思うようにはいかない世界のなかで、
私たちはついつい、怒り、欲しがり、愚かな行いをしてしまいます。

煩悩の三毒( 愼恚・貪欲・愚痴 )の根源が、
人間の「 自己中心性 」にもとづく「 分別心 」にあることを知るならば、

自己中心性にもとづく分別心の無いところには「 執着 」も起こらず、
執着の無いところには「 煩悩 」も起こらず、
煩悩の無いところには「 苦しみ 」も無いということを、「 滅諦 」はあきらかにします。


煩悩が盛んで落ち着くことの無い私たちの心であり、私たちの生きる世界ですが、
煩悩の静まりかえった安楽の境地「 涅槃(ニルバーナ)」のあることを、
ゴータマ・ブッダは自ら証得し、その身をもってあきらかにされました。


前人未到の境地に、ゴータマ・ブッダは、ただひとり「 解脱 」されたのです。


解(ほど)けが転じて「 ほとけ 」という言葉が生まれたとも言われるように、

自我意識の拘束からほどかれて、自己中心性の妄執からほどかれて、
分別心の閉塞からほどかれて、煩悩の呪縛からほどかれて、

人間ゴータマ・シッダルタは「 仏(ほとけ)」となられたのです。



上にでもなく、下にでもなく、左にでもなく、右にでもなく、

遠くにでもなく、近くにでもなく、過去にでもなく、未来にでもない、

まさに「 いまここ 」にこそ、「 涅槃 」のあることを、

表もなく裏もない「 ありのまま 」の姿をもって、

この世界に、あきらかにされたのです。



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